あの楽園はもうないけれど 斉藤壮馬『in bloom』

 

 

斉藤壮馬に複雑な思いを抱いているオタクは少なくないはずだ。

悔しいが私もその一人で、某作品で彼を知り、軽い気持ちでエッセイ『健康で文化的な最低限度の生活』を読んだのが運の尽きだった。3rdシングル『デート』の"斉藤壮馬のキャラソン"としての完成度は凄まじく、普段の「やってんな」的な言動や私生活をあまり明かさない注意深さなどをみても自己プロデュースの鬼であることは明らかなのだが、ちょっと追いかけていると「オタクが喜ぶこと」を的確に撃ってくるいけすかなさや仕事に対する真摯な姿勢ゆえの空回りぶりも見えてくるので、心が乱される。

死ぬほど個人的な話になるので詳しくは書かないが、斉藤壮馬を見ていると、昔住んでいた場所のこと、それなりに楽しかった平凡な学生時代のこと、今目の前に広がる茫洋とした未来のことを考えてしまう。他人に言おうと思ったことすらない極めてパーソナルな思い出と何故か結びついてしまう。

それを如実に感じたのが、2020年12月に発売された2ndフルアルバム『in bloom』のリードトラック「carpool」のフルバージョンを聴いたときだ。

 


斉藤壮馬 『carpool』 MV

 

 水平線の先なんて 知りたくもなかったよ

 運命なんて捨てよう、って 

 あのとき 言えなかったな  

 「carpool」より

  

彼の書く歌詞は前々から刺さっていた。でもそれは冒頭で書いたように「この男、自分のキャラソンを作るのが巧すぎる…!」という謎の畏敬の念と、意外となかなか他では味わえない近代文学バンド青年の煮詰まった世界観が、忘れて久しい私の厨二病の心を刺激してくる……という意味であった。

しかしこの「carpool」は、聴いたときの自分の心境や発売された12月の冬の冷たさ、手に取った物体としての真っ白な質感(装丁が凝っている。汚すのが怖くてうかつに触れない)などもあいまって、異様なくらい胸に刺さった。

言語化するのが難しい日々の生活や感情の揺らぎから生じる微妙なものを、思いがけなく拾い上げられた気がした。成長を促されたり、新しい世界を見つけることができたとしても、本当は何も知らないでいたいつかに戻れるなら戻りたい自分がいることに気付かされたというか。斉藤壮馬について話すとポエミーなテンションになってしまうのをどうしても避けられなくなる。

1stフルアルバム『quantum stranger』のテーマが「世界の終わり」だったとするなら、『in bloom』は「世界の終わりのその先」を描いた、と各所で語っているインタビューの通り、『my blue vacation』までの仰々しさは少し鳴りを潜めて、シンプルな楽器編成での曲が格段に増えた。「キッチン」「カナリア」などはその最たる例だろう。歌い方もかなり変わった。囁くような声やかすれた声が多用されていて、トラック面ではほぼ全曲リバーヴがかかっているという。

歌詞は相変わらずの煮詰まり具合だが、なんとなく地上と地続きになった。アルバム発売に先駆けて「in bloom三部作」として発表された「ペトリコール」「Summerholic!」「パレット」は聴きやすいがよくよく歌詞を見るとかなり抽象的でつかみどころがない。リード曲候補だったという「シュレディンガー・ガール」(←タイトルがもう、ね…。)とエロティックかつダンサンブルな「Vampire Weekend」は会心の出来で、アルバムのつかみとしてかなり強いと思う。

「Vampire Weekend」に関しては『ヒプノシスマイク』で彼の演じる夢野幻太郎がいるシブヤ・ディビジョンの曲「Stella」(この曲はものすごく人気で、ライブで歌ったりMVが公開されたりするたびにツイッターのトレンドに入ったり作中の設定をもとにしたパロディ同人誌が山程出たりした。私も一番好きな曲だ)の作曲者を編曲担当として引っ張ってくるあたり、なんというか抜け目ないし、実際ものすごく合っている。また編曲頼んでくれないかなぁ。

「BOOKMARK」は古い友人というJ氏のラップ(良い声。生でも聴きたい)と描かれている大学時代の怠惰な時間に心惹かれて乱されるし、シューゲイザー要素の濃い8分超えの「いさな」とキャッチーな曲調がら一筋縄では行かない「最後の花火」は危うげながら多幸感にあふれた曲だ。シークレットトラックの「逢瀬」は1stアルバムのシークレットトラック「ペンギン・サナトリウム」と似ているようで違う、より空間の広がりが増した静かな曲で、アコギ弾き語りのペンギン〜と比べ、楽器隊が増えた「逢瀬」には閉塞感が感じられない。

全体的に引き算された安らかなアルバムだと思う。

「carpool」で提示された「世界の終わりのその先」はさまざまな時間軸を移り、「逢瀬」で「そこにいることそのもの」に身を委ねることで静かに幕を閉じた。もう箱庭には戻れないことを柔らかく突きつけてくるアルバムだが、それも含めて良い。そうでなければやりきれない。彼の音楽に限らず、明日も生きていくためにそう言って欲しい、そのために私は音楽を聴いているんだなぁと思った。

星野源のエッセイのタイトルに『そして生活はつづく』というのがあるが、このアルバムにも合う言葉なんじゃないかと思う。何を知ってしまっても何をしでかしても何を失くしても、死なない限り生活は続く。そしてその中には、失ってしまったもの、得てしまったこと、かき消せない幻も含まれている。そしていつかは…

 

 すぐ追いつくから

 その場所で待ってて 

「carpool」

 

てか死ぬほど忙しいだろうに、全曲作詞作曲してるどころかこのクオリティを安定して出してくるのもすごいよね。天は何物も与える以上に努力の天才なんだろうなぁ。

ライブ楽しみーーーーーーーーー!!!!!!!!!!